学生の思想を読む

国ではなく国語に住む我々の、思考の差異を追求します。

情報化社会とデータサイエンス

新しく学んだこと

 警視庁サイバー犯罪対策プロジェクト、日本情報倫理協会でサイバー犯罪についての広報活動や啓発活動が行われる。技術のみに依存した場合、概念や操作が難しくなり、それについていけない人を増加させる可能性が大きい。その結果、インターネットの利便性を低下させる。事実、チェーンメールなどの迷惑メールは非技術的要素であり、技術のみの依存では対処が難しい。ドイツやアメリカにおいても、法律で強く規制したことによって本来保障されるべき自由や権利まで規制の範囲に入ってしまう恐れがある。インターネットは応用問題の宝庫であり、自ら学んでいくためにはある程度自由に使わせることも必要である。いわゆるネチケットをルールととらえるか、倫理規範ととらえるかには、実は微妙な問題がある。健全性のためには、利便性の低下を最小限に抑えながらも、出来る問題から規制していく地道な作業の元に成り立っている。

 SNS中傷は年間5000件を上回る数の相談が出ているほどに急増している。もし自分が中傷をされた場合の対策としてそのスクリーンショットを取ることや、ミュート機能、ブロック機能、フォローの解除などの手段がある。現在では機械学習によって攻撃的な発言は見えないようにする機能なども実装されているSNSがある。SNS中傷によって訴訟となった場合でも、賠償より請求費用の方が高くつくケースが多く、被害者は泣き寝入りとなることが多い。今では裁判を簡素化しようとする動きも見られる。

 

NHK クローズアップ現代+ 2020年6月4日

ネットのひぼう中傷 なくすために ~女子プロレスラーの死~

 22歳で亡くなった木村花さんは、毎日100件近くの中傷をされていたことと、傷ついたことはそれを否定出来なかったという自身の気持ちを自身のSNSに投稿した。中傷の当事者は自身の気に食わなさを投稿したことが、相手にとって大きいダメージを与えることがわからなかった。立場が自分より上で、ある程度成功している人に言われたことは、たとえ正論であっても馬鹿にされていると感じるという。正義感から言い返したつもりであったが、その言い方が加害者ではないかと後から反省したケースもあった。当事者を擁護するケースも多くあったが、擁護する人に対して攻撃されるようになるケースも見られた。会社経営とユーチューバーをしている葉山さんは木村さんのことを反論したくても反論できない状態にあったのではないかと見解を述べた。これは反論をすることによって反論した人間への攻撃がよりヒートアップすることにつながる。番組を見た視聴者の怒りや正義感は、リアリティー番組に感情移入していたことが原因となる。

 ひぼう中傷の被害は、攻撃者を特定し裁判を起こすことも不可能ではないが、実際にそれを行うケースは少ない。匿名で書き込んだ人を訴える場合、裁判所を通じてIPアドレスを特定し、誰が投稿したかを調べるには携帯会社とプロバイダを通じる必要がある。そこから裁判を起こすための費用が掛かるため、100万円以上の負担となる。

 韓国でもSNSでの中傷によって、新たなソルリ法案という個人の特定が容易になる仕組みが議論されている。しかし攻撃の投稿と通常の投稿の境目が曖昧であるため、実装は難しいという意見もある。ファンの協力によって、ひぼう中傷を通報する動きも見られる。

 投稿をする際に警告文を出すことは実際に攻撃の抑制に効果があるとされているが、私たち一人一人が出来ることは、言い争いをしないことや誰かを責めることをしないことなどである。

 

考察

 SNSひぼう中傷の摘発の難しさに、多くの人が頭を悩ませるだろう。SNSを利用していると、必ずといっていいほどに毎日一回はそのような投稿に出くわす。そもそも中傷というものは送信する側と受信する側がいて成り立つものであり、人間の社会的行動からその動きをなくすことは出来ないことが原因だと思われる。問題の解決方法について、中傷を言わせないようにするか、言わないようにするか、聞かないようにするか、聞くことができないようにするか、あるいは聞いてしまう、などがあると思われるが、そういった選択を出来るようにすると少しは改善されるのではないだろうか。それぞれの選択が選べない現在においては、各個人の耐性レベルに基づいて、どの手段を使い、どのようにSNSを運用するかを相談できる場を設けることは有用に感じる。インターネットは自由な場であるが、自由である故に取捨選択が出来ない人が多いように感じるので、その悩みを解決できるサービスを探し、なければ構築したいと考えている。

 

イベリア半島の多言語使用

スペイン語の諸方言

・今日の現代スペイン語は、もともと方言の一つだった?

 スペインの中には様々な方言がある。その中でもカスティーリャ方言(castellano)が最も優勢であった。これはもともと、スペイン北方のカンタブリアに始まってブルゴス周辺の小さな地域で話されていた。カスティーリャ地方の一つの方言に過ぎなかったが、カスティーリャの西方にあるレオン方言と東方にあるアラゴン方言を押しのける形で次第に南下していった。このカンタブリア地方からイベリア半島中央部までは旧カスティーリャと呼ばれ、最も主的なカスティーリャ方言の形態を今日でも比較的忠実に保持している。

 

・「細分化方言」て何?

  マドリード周辺のスペイン語は今日「文字通りのスペイン語」として認可されている。その後南下したスペイン語はアンダルシア地方に至り、本来の形とはかなり異なってしまった。これらの方言は「方言の方言」であることから「細分化方言」subdialectsと呼ばれる。さらにスペイン語イベリア半島を離れて、カナリア諸島へ至り、ここではカナリア方言が話される。

 

イベリア半島の言語的概観

スペイン語ポルトガル語はどうなっている?

 スペイン北西、ポルトガル北部のガリシア地方ではスペイン語ポルトガル語の多重言語併用地帯(Billingualism, Multilingualism)となっており、さらにレオン方言とガリシア方言も介入しているため複雑な言語事情を抱えている。ガリシア方言は言語学的にはポルトガル語の初期の方言がスペイン語化されたものである。

 ガリシア地方の現状として、都市部ではスペイン語が優勢であり、農村部でガリシア語が優勢であるという傾向がある。このようなことから、多くの人にとってガリシア語は文化水準の低い言語であると捉えられた。ガリシア地方のスペイン語化は15世紀に始まった。スペイン語化とはカスティーリャ化のことを意味する。スペイン語ガリシア語は相互に影響を与えあった。スペイン語の語彙がガリシア語に導入され、その一方でスペイン語ガリシア語化した。また19世紀に至るまでガリシア語は農村部で普及した。その理由はガリシア地方は教育制度が完備されていなかったためである。学校制度は19世紀末まで手つかずの状況であった。

 

・なぜ「移民の問題」に注目しなければならないのか?

 当時、経済上の理由から中南米(特にアルゼンチンのブエノスアイレスキューバ、メキシコ)へ移民を企てるガリシアの住民が多くいた。彼らは一定の期間を経てガリシアに戻ってきた。その結果彼らは、中南米スペイン語を持ち帰る結果となった。もともと彼らはガリシア語のみを話していたが、労働のためにスペイン語を話さざるを得なかった。その彼らを通してスペイン語ガリシアの農村部に普及した。これをスペイン語の逆輸入と呼ぶ。こうした経緯を正当化する理由は二つあり、一つは中南米で用いられているスペイン語の語彙がガリシア地方でふんだんに用いられていることである。中南米を特徴づけるvoseoが使われる唯一の地域がガリシア地方である。voseoとはスペイン語の「君」を表すTuのことである。この語彙が使われるのはアルゼンチン、ウルグアイパラグアイなどであり、その他の地域ではvosが用いられることはない。

 

スペイン語カタルーニャ語の関係

・「国土回復運動」によってカタルーニャ語はどの地域に普及したのか?

 カタルーニャ語アラゴン方言の境が、スペイン語カタルーニャ語の境界線となる。アラゴン方言はピレネー山脈の限られた地域で話されている方言である。ウェスカからムルシェに至るまでの地域では、カスティーリャ語が14世紀から話され、アラゴン方言とカタルーニャ語の関係となる。カタルーニャ語ピレネー山脈東部で話されているラテン語から派生した言語である。

 

アラゴン連合王国はいつ頃スペイン王国に統合されたのか?

 アラゴン連合王国は、スペイン東部からイタリアまで広がっていた国である。国土回復運動(レコンキスタ)によってカタルーニャ語バレンシア州バレアレス諸島などの南に広がっていく。15世紀にバレンシアが黄金時代を迎え、カタルーニャ文学が頂点に達する。アラゴン連合王国は複数の君主国の同盟により、地中海国家として南ヨーロッパに誕生した国家であり、1479年にスペイン王国に統合された。

世界の言語の分類・整理

スペイン語の領域

・どの地域で話されているのか?

 中国語と英語に次ぐ、母語人口の多い言語である。2006年にヒンディー語母語人口が増加し、現在では四番目になっている。スペイン本土にとどまらず、中南米の地域で用いられている。

・なぜ広域で使用されているのか?

 以下の歴史による。



-歴史から見たスペイン語

コロンブスの新大陸発見がもたらしたもの?

 1492年、コロンブスが新大陸を発見する。スペインとポルトガルで航海技術の発達により、ヨーロッパ以外の世界を制覇しようとした動きがあった。

 1494年、トルデシジャス条約によって、一部の地域を除くアメリカ大陸の大部分に優先的に進出する権利をスペインが得た。スペインがカリブ海の島々をはじめ、中南米を支配したため、スペイン語が普及した。

 1506年にトリデシジャス条約が廃止され、その後イギリス、フランス、オランダによってこの地域は植民地化された。

 

 

・なぜブラジルだけがポルトガル語

 現在のブラジルに当たる地域は、トリデシジャス条約における境界線の外にあった。そのため、ポルトガル人によって発見された



中南米スペイン語

・何か国でスペイン語が話されているのか?

 中南米カリブ海の島の中で、キューバドミニカ共和国ではスペイン語公用語とされている。ドミニカ共和国の東にあるアメリカの自治連邦区であるプエルトリコではスペイン語と英語の二つの言語が公用語となっている。アメリカの自治領では日常的には英語よりもスペイン語が用いられており、アメリカ合衆国への移民も多く、ニューヨークなどへ働きに行く人がいる。南米はブラジルを除くコロンビア、ベネズエラエクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、パラグアイウルグアイの9か国でスペイン語が話されている。

 

・アフリカ大陸や合衆国でスペイン語が話されている?

 北米では英語の次にスペイン語が話されており、その話者数は1000万人を超えるといわれている。メキシコと国境を接するカリフォルニア、アリゾナニューメキシコや、キューバと150kmほどの距離にあるフロリダなどの州ではスペイン語がトリデシジャス条約の際に普及した地域と考えられる。つまり、16世紀以降にスペインが征服した地域である。

 アフリカ大陸でもスペイン語は話されている。唯一スペイン語公用語とされているのはアフリカ中西部にある赤道ギニアである。かつてポルトガル領であったが、現在では第三言語としてスペイン語が用いられている。

 

・どこにあるアンドラ公国

 スペインとフランスの間に位置するアンドラ公国ではフランス語とスペイン語が話されている。日本の金沢(神奈川?)とほぼ同じくらいの面積であり、スペインとフランスの二か国の郵便局が運用されている。近くにあるカタルーニャでは、カタルーニャ語公用語であるが、スペイン語も用いられている。

 

スペイン語はどんな言語なのか

・「イベリア半島の原住民」とは?

 有史以前、イベリア半島に住んでいたのはイベロ人である。その言語は北アフリカ起源だと言われている。イベリア半島という名前はイベロに由来している。

 

・その後どのような異民族がイベリア半島に侵入した?

イベロ人の時代にイベリア半島の北西部からケルト人がこの地に侵入した。そしてイベロ人とケルト人が混血し、彼らの言語が次第に統一されていく。そしてケルト・イベロ人種の成立が起こる。その後、フェニキア人やカルタゴ人がイベリア半島に進出した。フェニキアは現在のレバノンカルタゴは現在のチュニジアにあたる。

 

ラテン語イベリア半島に普及したのはいつ頃?

紀元前206年ローマ人によってイベリア半島の征服が始まる。この時期にラテン語が普及する。ロマンス語と呼ばれる言語はラテン語から派生していく。従来からのイベリア半島の原住民の言語がすぐさま消滅することはなかった。そして長い間この地域は二重言語使用地域となった。これは英語でbilingualismと呼ぶ。

 

ラテン語はどのように分化した?

 ラテン語自体も上流階級の古典ラテン語(Classical Latin)と、庶民の俗ラテン語(Vulgar Latin)に分化した。俗ラテン語がさらに分化し、ロマンス諸語(イタリック諸語)が出来上がる。

 東方ロマンス語としてイタリア語、ルーマニア語、西方ロマンス語としてスペイン語ポルトガル語、フランス語、プロヴァンス語(フランス、モナコ、イタリアで話される言語)へ派生していった。



ー今日のイベリア半島

スペイン語以外にもいくつかの言語がある?

 イベリア半島全体の5分の4を占めるスペインでは、スペイン語の他に様々な言語が話されている。スペイン北西部のガリシア地方ではガリシア語、スペイン第二の都市であるバルセロナではカタルーニャ語が話されており、これらの言語を研究することはロマンス語学者の手に委ねられている。今日まで多くの言語学者の中で注目を浴びてきたのが、カンタブリア海におけるバスク語である。近年に至るまでほとんど手がつけられておらず、スペイン語とまったく異なり、この言語について起源がわかっていなかった。アフリカにルーツがあるとされている。

 

ー南スペインのアラビア語ベルベル語

・スペインの領土は北アフリカにもある?

南スペインにはアンダルシア地方に面するアフリカ大陸のセルカとメリーダがある。モロッコは1956年にフランスの植民地から独立したが、この地域は未だにモロッコに変換されておらず、スペイン領である。ここではアラビア語ベルベル語が話されている。

 

・なぜカナリア諸島に注目しなければならないのか?

 モロッコ沖にあるカナリア諸島ではスペイン語が話されている。カナリア諸島の原住民はグアンチェ人と呼ばれている。グアンチェ人の言語やバスク語ベルベル語に起源があるのではないかという研究がされている。また、西サハラではハサニア語が話されており、イベリア半島で元々話していた言語はこういった言語に近いのではないかという研究がされている。

言語の交流と対立における演出について

言語の交流と対立における演出について



はじめに

 本論では、「言語の交流と対立における演出について」というテーマのもと、言語問題について映画ではどのような表現がされているかを調べたい。一つの映画の中で複数の言語を用いた映画自体が多くないため、直接的な対立や交流を示唆する先行研究が見つかっていない。このことから目標設定として、言語の交流と対立がどのような表現でなされているかを簡単にまとめ、その表現について考察したい。調査方法は、作中で複数の言語が入り混じるシーンを比較し、その演出や撮影技術、脚本や編集の表現から、実際の出来事との関連や社会状況、生活・生産・文化を含めた景観など映画以外の資料を取り入れ、その違いを比較検討する。研究の結果から推測できる考えを記述しまとめる。

 まず第一章では、テーマに関わる研究背景と筆者の関わりを述べる。第二章では歴史と映画における関わりを紹介する。第三章ではインド、イタリア、日本で制作された映画を節ごとに紹介し、それぞれについて評論を述べる。付記としてマレーシア映画を一点取り扱う。



第一章 テーマと私

 筆者は、ジョージオーウェルの小説『1984』を読み、言葉を扱うことの重さを実感した。そもそも筆者が言語に興味を持った由来は、『メタルギアソリッドV』というゲームの裏テーマが「言葉」であったことにある。ゲーム内で様々な言語が用いられ、敵が民族から言語を奪おうとするストーリーに、興味を持った。

 映画というものはその言語と映像を介して表現が主張される手法である。英語やスペイン語などをはじめとする支配言語話者が、自身の主張を大衆に通すための手法として優れているのではないか。インド・タミルナドゥ州にルーツを持つ、立命館大学の学生に人工言語を開発している方におすすめの映画を尋ねると「ムトゥ 踊るマハラジャ」「チャンドラムキ」などのタミル映画を勧められた。インドなどの他民族国家ではものの表現が言語を介しても通じないため、感情や主張の表現にダンスが用いられる。今回の映画評論において、表現規制ダイバーシティの在り方を考える契機としたい。



第二章 テーマの関係と歴史

 全体的に2つ以上の異なる言語が扱われる、もしくは多言語国家で視聴されることを想定された映画を選択した。これにより、言語の視点から見た人々の交流や対立がどのような表現で行われているかを調べることを目的とする。また、映画のレビューや評価を参考にして、その表現が適切に伝わっているかを客観的に検証することにも挑戦したい。

 

 『スタンリーのお弁当箱』が撮影された2011年当時は、外務省によると経済成長率は8.4%であったが、欧州債務危機及び高インフレに対応するための利上げ等の要因により、経済は減速した。こうした状況下の中で、1986年に施行された児童労働法がありながらも、2011年の国勢調査によると、児童労働に従事する割合は1000万人以上となることがわかった。しかし、村田(2009)によると「この法律はすべての児童労働を禁ずる法律ではなく、むしろ正当化を図るものであった」としており、子どもに危険な労働をさせないための保護のための法律であったことがわかる。しかし実際にはどんな労働であっても、子どもがその労働のために学校に行けない状況が続くことで、貧困のスパイラルは止まらないだろう。

 

 『ライフ・イズ・ビューティフル』はホロコーストを扱った作品であるため、またこれまでにいくつもの議論がされてきたためにここでは割愛する。

 『人生は、奇跡の詩』ではイタリアの描写というよりはイラクにおけるイラク戦争直前の空気が特徴的な描写となる。作中、テレビが映るシーンでは『続・夕陽のガンマン』が放映されている。この映画には砂漠を歩くシーンや、戦争に巻き込まれるシーンがあり、作品のオマージュであることが感じられる。

 

 『テルマエロマエ』では日本の様々な旅館や温泉街の他に、イタリアのローマ、ブルガリアのソフィアなどの海外ロケでの撮影が行われた。イタリアのローマ郊外にあるチネチッタは、1937年にムッソリーニの政権下で設立された大規模映画撮影所である。第二次大戦中の1937年から1943年は空襲で撮影所の一部が壊れ、また難民キャンプとして使われた。こうした時代を経て、戦後はイタリアを代表する名監督ルキノ・ヴィスコンティの「山猫」(1963年)、巨匠フェデリコ・フェリーニの「甘い生活」(1960年)、「8 1/2」(1963年)等の数々の名作がこの撮影所で生まれ世に送り出された。1980年代に映画産業が衰退し破綻の危機があった際に、国営化となり危機を回避して現在に至っている。



第三章 テーマに関する映画

 

第一節 インド映画について

 映画『STANLEY KA DABBA  スタンリーのお弁当箱 (2011) 96min India』はインド映画と呼ばれるインドで制作された映画だが、他民族国家のインドではお互いに異なる言語を介するため、感情の表現に踊りを組み込む手法を取る。言語を介さないコミュニケーションの在り方から、新しい視点の表現を学べることと想像する。

 『スタンリーのお弁当箱』で主に撮影された学校はアモール・グプテ監督の母校であり、撮影に際しては毎週土曜日に、子どもたちに映画の撮影であることを伏せて行われている。グプテ自身も、子どもたちには役者ということを伏せ、先生役として出演した。子どもたちに映画の撮影を伏せる際に、映画ワークショップとして部活動のような感覚で参加してもらい、脚本を知らせずに自由な演技をさせた。撮影にはキャノンEOS 7Dを用いており、カメラマンは一人、照明は無しというホームビデオのような構成で行われた。制作は2011年から行われたが、毎週土曜日の撮影であったため完成に2年半を要した。

 物語の構成は食事が十分に摂れない貧しいスタンリーと、スタンリーのためにお弁当を分ける仲間が、スタンリーの分の食事を集ろうとする教師の対立を描いている。インドムンバイ州東アンデーリ地区にあるホーリーファミリー校で主に撮影される。同校はキリスト教カトリック系の学校で、金色のマリア像がエントランスにある。この映画はインドにおけるヒンディー語圏の映画として知られ、作中で登場する料理も北部のものだが、西の地方料理も登場する。その違いは、インド北部では主に主食として小麦が用いられ、南部での主食は米である。西インドでは主食に小麦と米の両方が用いられるため、作中でもその両方が登場する。ちなみに東インドでの主食は米であり、これらの違いはかつての植民地時代の歴史や文化交易の交流からなるものである。

 作中の学校では主にヒンディー語が用いられているが、外国語教育として一部英語が使用される授業のシーンも存在する。作中では国語教師が英語のアルファベットから教えるシーンがあり、英語が「外国語」ではなく「国語」として扱われていることがわかる。インドでは児童労働が社会問題としてあり、作中では主人公のスタンリーが弁当を用意出来ない貧困層と表現されている。そのため、学校に弁当を持ってこれない人は学校に来るなと言われるシーンがあり、これをそのまま認めてしまうと貧困層の子どもへの教育が成り立たなくなる。実際のインドでも児童労働の根源となる要因は社会全体の貧困にあるとされ、インド政府では2011年に教育予算を増額し、教育に対する重要度を高めている。

 この映画はインドにおける食事を用意できる家庭の経済状況と児童労働の現状を表現した映画であるが、作中に登場する子どもたちはみんな清潔な制服に身を纏い、毎日学校に通っている。つまりインドの貧困層の実態というよりは都市部の比較的裕福な子供たちが多く登場する。日本人から見ればたしかにスタンリーは貧困者に見えるかもしれないが、2011年のインドでの国勢調査識字率は73%となり、やはり貧困の実態には遠い印象を受ける。



第二節 イタリア映画について

 『La vita è bella ライフ・イズ・ビューティフル (1998) 117min Italia』、『LA TIGRE E LA NEVE 人生は、奇跡の詩 (2005) 114min Italia 』はイタリア映画で、主演と監督をロベルト・ベニーニが兼ねる。

 『ライフ・イズ・ビューティフル』はホロコーストを扱う映画であるが、作中にはドイツ語とイタリア語が登場するため、その対比を分析したい。強制収容所にいたユダヤ人の彼らから見たドイツ人(ドイツ語)は、恐ろしいものとして認識されていたはずである。

 作中では子どものジョズエに対して、収容所での生活に恐怖を感じないように、ジョズエの父親であるグイドが様々な機転を働かせる。将校が収容所内の規則を説明するために、ドイツ語とイタリア語の通訳を求めた際に、グイドはその役を引き受ける。グイドはドイツ語を理解していないが、収容所の規則に関するドイツ語の説明を、収容所内で行われるゲームの説明としたイタリア語ででたらめな通訳をする。ドイツ将校とその子弟の食事シーンでは、ドイツ人子弟に紛れて食事をとっていたジョズエが誤ってイタリア語を発してしまい、ドイツ人将校に聞き咎められてしまう場面がある。ここでグイドは他のドイツ人子弟相手に、イタリア語の日常会話の練習を咄嗟に始める。この結果、イタリア語の練習であったこととして捉えられ、ジョズエは危機を逃れる。

 前田(2016)はこの映画を「現実の再現を徹底的に放棄することにより、ホロコーストが展開している収容所には多様な快適性が侵入する余地が存在するという世界観を展開している」と評価している。ホロコーストの再現性について否定はされるかもしれないが、この時代におけるユダヤ人からみたドイツに対する恐怖感はある種、喜劇的ではあるが表現されていると言える。

 

 『人生は、奇跡の詩』では、主人公のアッティリオが詩人として登場する。イタリア人の彼はイタリア語を話すが、イタリア語は当然ながら中東では通じない。2003年にイラク戦争が勃発したが、その直前の時期にアッティリオがイラクに向かうシーンがある。彼はイタリア語が通じないので、拙い英語でイラク人たちと様々なコミュニケーションを取る。しかし実際に本質的な意思の疎通となったのは、身振り手振りを交えた彼のジェスチャーであった。

 イラク人など、中東の人々の中でも特にアラブ人は誇りだかく、メンツを重んじる。それは中東が文明の発祥地であることに起因する。10世紀から13世紀ごろには西洋をはるかにしのぐ文明を持っていたにも関わらず、西洋諸国の植民地になってしまったという歴史がその底流にある。世界で初めて農業を始めたのはイラク人であり、今から5000年ほど前に世界で初めて都市を作った。イラクはいわゆるメソポタミア文明の発祥地である。都市は人口数十万人規模のものがいくつもあり、数万人規模のものは無数にあったとされている。都市の規模と緻密さは17世紀までのヨーロッパをはるかにしのぐものであった。また、5000年前に都市化した社会が作り出したものは、7日を一週間とし、12カ月を一年とする現在の暦である。さらに、60進法と星占いの概念もこの時代に誕生している。すなわち、ヨーロッパ人の時間と空間の概念がこの時代に由来すると言える。つまり、ヨーロッパ文化の基本的な部分は現在のイラク地方にさかのぼることが出来る。イラク人は気性が非常に激しく、物事に固執する傾向があると言われている。さらに独立心が強く、ウェイターなどのサービス労働者にはなりたがらないと言われている。後に、湾岸戦争ではアメリカに対してイラクは一人で立ち向かったことも、イラク人のプライドに由来する行動であった。

 作中でのイラク人は、アッティリオに対して理不尽に高圧的な態度を取ることは無いが、こういった国民性の違いは文化や歴史、そして用いられている言語に何らかの影響があることがわかる。

 

第三節 日本映画について

 最後に、『THERMÆ ROMÆ  テルマエ・ロマエ (2012) 108min Japan』、『THERMÆ ROMÆⅡ テルマエ・ロマエ2 (2014) 112min Japan』は日本の映画である。ロケ地は主に日本各地の温泉街や旅館で行われているが、一部、イタリアやブルガリアなどの海外で行われており、作中では俳優がラテン語で会話をする。途中から「バイリンガル」のテロップが出た後に登場人物が日本語で会話を始めことになるが、意思の疎通に至るまでは混沌としたシーンが経過する描写がある。

 イタリアのローマ郊外にあるチネチッタでは『ローマの休日』、『甘い生活』、『グラディエーター』などの撮影が行われた。映画の聖地と呼ばれており、古代ローマ時代の広場や神殿、トスカーナ地方の田舎町、ロミオとジュリエットのバルコニー等の撮影にそのまま使えるようなセットが一つの街になっている。『テルマエ・ロマエ』の撮影はイタリアのローマで約2週間、1000人のエキストラとともに行われた。また、続編の『テルマエ・ロマエ2』ではブルガリアのソフィアにて約一カ月、延べ5000人のエキストラとともに撮影された。

 作中では女優の上戸彩氏がラテン語を勉強し、古代ローマに移動してしまうシーンがある。現地でのラテン語話者との会話において大変難しい語彙を用いたコミュニケーションを取っていることから、井上(2012)は「世の中の「外国語会話」とは、少しかじったら自在に話せるといったようなイメージである」と述べている。この主張は外国語会話に対する多くの人が持つイメージ、固定観念を否定的に捉えたものであり、実際に筆者からしてもこの指摘には同意せざるを得ない。しかし映画『Melody 小さな恋のメロディ (1971) 103min United Kingdom』でもラテン語は時代遅れの言語であり、死語と扱われていたが、こうしたラテン語に対してのイメージの払拭や、外国語学習に対するロマンをエンターテインメントの観点から貢献している点について、井上は評価している。また、唐木(2012)はラテン語が死語とされるイメージを日本人にとってわかりやすいニュアンスで表現することを「日本でも万葉集などを使って古語を勉強するが、イタリアでも事情は同じ」だとした。



付記 マレーシア映画について

 ヤスミン・アフマド監督の『Talentime タレンタイム〜優しい歌 (2009) 115min Malaysia』は、国境や宗教の壁を映画の力で超えようとした監督の遺作となった。

 この作品が撮影されたのはマレーシアのイポー (Ipoh)である。この場所は英国植民地時代から茶葉栽培が盛んでリゾート地として有名なキャメロンハイランドが近くにあり、マレーシアの軽井沢と言われるほどに過ごしやすい地域である。コロニアル調の美しい建築が残っている町で、多種多様な考え方の人々が町に暮らしていることが映像に表れている。

 マレーシアは他民族国家であり、母語はマレー語とされている。アジアに属するが、国教はイスラム教である。そのため、マレー語、中国語、タミール語、英語といった複数の言語が用いられ、作中でもこれらの言葉が使われている。また、宗教の違いなどに関わる問題が、作中ではムスリムヒンドゥー教徒との交流として描かれているが、こうしたシーンを葛藤としてではなく、やさしい慈愛の風調として表現されている。

 作中ではメルーという人物の母親が、メイド(お手伝いさん)に点心(中華系料理)を習うシーンがあるが、古川(2020)によると、「マレー系が華人系のお手伝いさんを雇うこと自体はあまり無いが、中国ルーツの点心を好むマレー系はとても多い」として、作中での行動はリアルなマレーでの日常だということがわかる。

 映画は映像と音声を合わせた表現であるため、制作する側の言語に制限がかかる。後から字幕を入れることは可能であるが、それも多くの人に用いられる言語に限定される。また、言語による表現の差異が存在する言葉を用いる場合、視聴する側に一定のコンテキスト性が求められる。新海誠監督の『Your NAME. 君の名は。 (2016) 112min Japan』では、人物が一人称を言う際に日本語では「私」、「僕」、「俺」と表現する部分が、この映画の英語版ではすべて一人称が”I”になってしまう。厳密には”I (Watakushi)”といった字幕になっているが、こうした言語によるニュアンスの差はどうしても出てきてしまう。『タレンタイム』ではこうした言語の異なる場合における問題を音楽の力によって超えようとする作品とも捉えられる。



参考文献・参考映画

 

【書籍】

George Orwell, O. & 新庄哲夫, 高橋和久 (英:1949, 日:1972). 1984. Secker and Warburg, ハヤカワ文庫, 新版ハヤカワepi文庫



【論文】

前田譲治(2016)「映画におけるホロコースト描写の一考察--ユダヤ系監督と非ユダヤ系監督の比較の視点から」北九州市立大学文学部紀要(85)北九州市立大学文学部比較文化学科、pp.151- 168

 

村田美子(2009)「児童労働撤廃に向けて : インドの現状」関西外国語大学人権教育思想研究(12)関西外国語大学人権教育思想研究所 編、pp.109-134



【ネット記事】

ネタバレ映画館「人生は、奇跡の詩」、2007

https://blog.goo.ne.jp/kossykossy/e/ec53b7522bc69edebf3932fdd958fda5

閲覧日:2020年12月11日

 

Etsuko Ciao「永遠の都ローマに映画ファン必見の聖地「チネチッタ」あり」LINEトラベルjp

https://bit.ly/3oDDtJb

閲覧日:2020年12月8日

 

鈴木元「テルマエ・ロマエⅡ」映画.com、2014

https://eiga.com/movie/78148/interview/

閲覧日:2020年12月8日

 

井上孝夫テルマエ・ロマエラテン語」言語のある生活、2012

http://polyglotreader.blog109.fc2.com/blog-entry-177.html

閲覧日:2020年12月8日

 

唐木麻美「『テルマエ・ロマエ』のラテン語」ACCADEMIA ITALIANA 、2012

http://accademia-italiana.jp/column/2012/07/000009.html

閲覧日:2020年12月8日

 

地ムービー「スタンリーのお弁当箱」

https://bit.ly/3orWvlz

閲覧日:2020年12月5日

 

松下由美、松岡環「親子で創った子どものための魔法の映画-パルソー(主演)アモール・グプテ(監督)」ASIAN CROSSING 、2013

http://www.asiancrossing.jp/intv/2013/0707/3.html

閲覧日:2020年12月5日

 

高橋茅香子ヴァシュリ通信「スタンリーのお弁当箱 Stanley Ka Dabba」

発行・編集:株式会社アンプラグド

2013年6月29日発行

https://bit.ly/3qv9Jjb 

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青木ゆり子「インドの料理」

https://e-food.jp/map/nation/india.html

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DaysLikeMosaic「夢は洋画をかけ廻る」、2016

https://dayslikemosaic.hateblo.jp/entry/2016/02/19/050000

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神保慶政「どこにでもありそうで、マレーシアにしかない・・・若者たちの青春の音色」、2017

https://bit.ly/3oj3CNc 

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古川音「マレーシア映画『タレンタイム』を観て。」、2020

https://note.com/otofurukawa/n/n8f454141e1f1

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【映画】

STANLEY KA DABBA 『スタンリーのお弁当箱』 (2011) 96min India Amole Gupte

 

La vita è bella 『ライフ・イズ・ビューティフル』 (1998) 117min Italia Roberto Benigni

 

LA TIGRE E LA NEVE 『人生は、奇跡の詩』 (2005) 114min Italia Roberto Benigni

 

Melody 『小さな恋のメロディ』(1971) 103min United Kingdom Waris Hussein

 

THERMÆ ROMÆ 『テルマエ・ロマエ』 (2012) 108min Japan 武内英樹

 

THERMÆ ROMÆⅡ 『テルマエ・ロマエ2』 (2014) 112min Japan 武内英樹

 

Talentime 『タレンタイム〜優しい歌』 (2009) 115min Malaysia Yasmin Ahmad

 

Your NAME. 『君の名は。』 (2016) 112min Japan 新海誠

世界の言語を概観する

-「外国語」って「英語」のこと?

 世界では様々な言語が話されており、そのなかでも英語は世界標準語として多くの人に話されているが、実際に外国語として扱われる言語は世界に様々である。

 ヨーロッパの国々ではどんな言語が話されているかというと、ラテン語から分かれたイタリック語派が話されており、ロマンシュ語とも言う。ヨーロッパでは多くの人が2~3ヶ国語を理解できるとされているが、それはラテン語がヨーロッパの言語の起源であり、そこから派生したためである。

-世界の言語の分類

 世界にいくつの言語があるかというと、2006年のユネスコの統計によると6900言語(世界総人口約65億3800万人)、2020年では7117言語(世界総人口約77億人)あるとされている。このうち、絶滅の危機に瀕している言語は2009年では36%に相当する2500言語、2020年では41%に相当する2926言語あるとされている。

 このうち、いちばん多くの言語が話されている地域はヨーロッパだと思われることが多いが、2020年の統計ではアジアの2269言語であり、これは全体の32.8%を占めている。続いてアフリカの2092言語で30.3%、環太平洋諸国の1310言語で19%、南北アメリカの1002言語で14.5%、ヨーロッパの239言語で3.5%となっている。このことから、一番多くの言語が話されている地域はアジアである。

 一番話し手の多い地域は、2020年の統計によるとアジアの39億8000万人で52%である。続いてヨーロッパの17億2000万人で22.3%、アフリカの8億8700万人、以下南北アメリカ、環太平洋諸国と続く。

 一番多くの言語が話されている国は、2020年の統計によると、パプアニューギニアで840言語が話されている。続いてインドネシア710言語、ナイジェリア524言語、インド453言語、アメリカ合衆国335言語、オーストラリア319言語、中国305言語、メキシコ292言語、カメルーン275言語、ブラジル228言語と続く。

 一番話し手の多い言語は2020年の統計によると、English12億6800万人、Mandarin Chinese 11億2000万人、Hindi 6億3700万人、Spanish 5憶3800万人、French 2億7700万人、Standard Arabic 2億7400万人、Bengali 2億6500万人、Russian 2億5800万人、Portuguese 2億5200万人、Indonesian 1億9900万人、Urdu 1億7100万人、Standard German1億3200万人、Japanese 1億2600万人、Swahili 9900万人、Marathi 9500万人、Telugu 9300万人、Turkish 8500万人、Yue Chinese(広東語)8500万人、Tamil 8400万人、Western Punjabi 8300万人、Persian 7000万人となっている。

 世界人口のほとんどが話している言語は、世界の言語7117語の3.8%に相当する272言語が、世界人口の96%によって話されている。つまり、世界の言語の96%に相当する言語は、世界人口のわずか3.6%の人によってしか話されていない。消滅危機言語とは、話者の数が1000人以下の言語とされている。言語が滅びることは文化が滅びることに等しい。

 

 ラテン語から分かれたロマンス語を比較すると。スペイン語ポルトガル語、イタリア語、フランス語の単語はほとんどの場合において似たような文字列になることがわかる。しかし英語はこれらの言語と比べると全く形が異なるが、例えば”tradition”のような学術用語は英語を含めて似通ったものになる。また、「私は学生です。」のような短文においても、これらの言語はすべてSVOの順に文法が確立されている。

情報化社会の倫理

新しく学んだこと

 CCCD不正コピーを防止する記憶媒体だが、再生機器で再生できないことや音質の劣化などの不具合から、消費者やアーティストからの反発が起こり2016年には撤退した。

 意見の対立や相違によって、情報のやり取りに問題が生じることが多発している。それにより個人情報やプライバシー保護の観点での裁判が増加している。

 

 サイエンスZERO サイバーセキュリティの脅威(2)

 サイバー攻撃から身を守れ!1/31 2016

 自動車やスマートフォンが標的とされ、我々個人が攻撃される。家電などの組み込み型コンピュータにマルウェアが侵入することが増加している。自動車には100個ものコンピュータが使われている。ここに不正アクセスを仕掛けることで、なにが出来るのかを検証した。ドアのロック、ライトのオンオフ、ブレーキ機能を外部から強制的に乗っ取ることが出来た。ハンドル、エアバッグ、アクセルまでもが可能だという。これまで多くの自動車会社は、こういったサイバー攻撃へのセキュリティ意識を最大限にしていない。悪用されるとどうなるかを考えている人は少ない。飛行しているドローンをハッキングして墜落させる実験を行った。操縦者と同じWifiに侵入して悪意のある操作を行うと、ドローンのコントロールを奪うことが出来る。やり方がわかれば誰にでも出来るため、注意が必要である。

 ネットに繋がっていなければリスクは少ないが、実際には難しい。それはIoTの流れのなかで、様々な機器がインターネットに接続することを前提として作られているため、情報漏洩のリスクやプライバシー保護の危険性が高いためである。町のカフェにあるWifiの危険性を調べる。家の中の多くのモノがインターネットに接続されている被害者役の学生がWifiに接続し、攻撃者役の学生が攻撃を仕掛ける。カフェのWifiに似せたWi-Fiを用いる。これは「邪悪な双子ネットワーク」と呼び、ホームオートメーションシステムへのIDとパスワード、さらに住所まで特定することが出来る。多くの組み込み型コンピュータは機能を単純化させる。そのため、セキュリティも抜ける。500億個の組み込み型コンピュータがインターネットに接続されているということは、500億個の攻撃先があるということである。他人の通信を盗み見るということは、知識と道具があれば容易である。フリーWifiや野良Wifiはどこに攻撃者が潜んでいるかわからないため、注意が必要である。

 個人情報の塊であるスマートフォンもセキュリティシステムが求められる。もともと備え付けのサンドボックスという機能によって、個々のアプリケーションのセキュリティは保たれるが、ユーザーの利用許可によって解除される。一つのアプリに多くの権限を与えすぎると、攻撃者のハッキングによってユーザーの個人情報が漏洩することがある。外部の攻撃者による操作で、スマートフォンの追跡、SMSの履歴、撮影、録画、録音などのコントロールを奪うことが出来る。その操作はスマートフォンの利用者には気づかれず、またアプリケーションの存在を隠すことも可能である。電波のあるところであれば、隠れることはできない。プライバシーがなくなっていくので、どこまで許容するか。プライバシーを対価にするビジネスが増えている。スマートフォンそのものではなく、スマートフォンの利用者にそのあたりが無頓着な人が多い。

 

考察

 サイバーセキュリティやプライバシーの話は、スマートフォン利用者の爆発的増加から今日に至るまで続いている問題である。筆者は、しかしその中でも利用者のセキュリティに対する意識が低いままだと感じており、リテラシーの向上は今一つ横ばいになっていると思われる。

 大規模なハッキングは突発的に話題になるが、個々人のプライバシーに関してはそもそも被攻撃者が攻撃の対象にされたことに気づかないという指摘が講義でもあった。これについて筆者も耳が痛くなった。自身が攻撃を受けているかという認識は、自分のデータが改変されているか、消されているかといった具合に目に見える形で起こると想定していたが、動画にあったように自分の端末のカメラが攻撃者によって自動的に使われていることを知る術はないからである。このあたりの識別方法や対処法について知識をつけていきたいと痛感した。

情報セキュリティーと個人情報保護

新しく学んだこと

 EDR(Endpoint Detection and Response)は従来のウイルス対策ソフトやファイアウォールでは防げないタイプのウイルスの感染を防ぐことが出来るものだ。竹中工務店が導入した際に、従来のウイルス対策ソフトよりも一日早くウイルスの侵入を察知した実績がある。EDRは他のウイルス防衛策と組み合わせることでより強固なセキュリティ能力を発揮する。サイバー犯罪は攻撃者側が有利であるために、常に対策を講じる必要がある。

 否認不可能性同一性確認:情報システムの利用や操作、データの送信などに関連して、確かにある特定の人物が行ったことを後から確認できる仕組み。犯人を特定でき、それを否定出来ない証拠を持つログなど。

 S/MIMEは運用コストが高く、個人など小さい規模の事業体ほど普及していない。

 HTMLでは表示されているURLとリンク先のURLを変えることが出来る。

 

NHKサイエンスZERO 量子コンピューター時代 新暗号誕生なるか

 URLには暗号化の有無の情報が表示されている。暗号と数学には関係がある。600桁の素因数分解は現在のスーパーコンピューターにもできない。しかし、今ではそれが可能となりつつある。現在開発されている量子コンピューターは、超電導ビットを用いることでこれまでのビットにはなかった性質を生みだすことが出来る。ビットとは0と1のどちらかのみを表すことが出来る単位であるが、量子ビットはその両方を同時に表すことが出来る。このコンピュータの登場によって新たな研究が進められている。

 量子コンピュータの現在の規模は50量子ビットであり、まだそこまで脅威ではないが、飛躍的に技術は進んでいるために安心は出来ない。量子コンピュータは驚異的な計算スピードを誇るため、暗号研究は油断出来ない。格子問題、格子暗号が現在のトレンドとして注目されている。格子問題とは、原点から一番近い点を探せという問題である。平面に存在する点(原点)から、格子を想定するものである。二次元の表においては一番近いものを探すことは容易だが、三次元の場合はさらに奥行きの概念が追加されるために、一番短い格子点を探す場合は難しくなる。今では800~1000次元の格子を想定し、量子コンピュータを用いても素早い解読は出来ないとされている。ジオファントスという暗号方式に、ある操作をすると答えが偏るという指摘が外部から入り、ジオファントスの開発者が自分の暗号に指摘された攻撃をしてみたが、その脆弱性は発見されなかった。しかしこれからも暗号技術についての攻撃は仕掛けられるために、安心は出来ない。

 

 

考察

 セキュリティについては、勉強していても知らない用語が常につきまとう。筆者もIPA情報処理技術者試験などの勉強をしているが、毎年新しい技術やウイルス攻撃などが出てくるために、常日頃からの勉強がないとついていけない。量子コンピュータはこれまで想像上の未来のソリューションとして捉えられていたが、ほとんど実用化されていることは驚くべきことだ。ただ、それに伴ったセキュリティや使用者の意識がまだ追い付いていないように感じる。特に、スマートフォンの普及により、未就学児でさえもインターネットに触れている現在では、適切な教育が施されていないことは明白である。技術の研究開発もほどほどに、利用者のリテラシーの底上げにも目を向けるべきだ。