学生の思想を読む

国ではなく国語に住む我々の、思考の差異を追求します。

どういう労働形態なら人間にとって望ましいか?

はじめに.
 今回の課題にあたり、大衆意見はディーセントワークを提示して終わるという話を聞い
た。ここで求められるソリューションはあくまで労働形態であるため、コンプライアンス
に則る行為そのものに意見は得られない。当書面では筆者の実体験に基づいた望ましい環
境を説明し、今後の自身にも活用できる考察をここに残すこととする。
Ⅰ. 単純労働の欠点
 21世紀には科学技術や輸送技術の向上により、食べることに不足の無い、飽食の時代が
到来した。ベルトコンベアを活用したライン生産技術の確立により、ある期間に製造可能
な数が計算により求められる標準化が実装された。この標準化は管理者として理想のシス
テムだが、現場に従事する労働者の意見はその限りではない。筆者はある工場でおせちの
製造を経験した。そこでの労働はあまりにも退屈でつまらないものだった。工場の階層ご
とに行う作業こそ違いはあるが、基本的にどの部門でも同じ動作を繰り返すことになる。
単調な作業を淡々と事務的にこなすのみだった。特別厳しい監視や注意があったわけでは
ないが、私語をすることも許可されていなかったため、時間の経過が非常に遅く感じた。
年末のために大量募集の求人だったため、時給はある程度高く設定されていたが、同じ作
業を行うばかりではあまりにも時間を浪費している感が否めない。最も、世の中にはブル
ーカラーを是とする方もいるため、安易に単純労働を否定するわけにはならないが、少な
くとも筆者はこれを生涯の職業とするつもりはないと感じた。
Ⅱ. 最低賃金で働く理由
 筆者は、自分の時間を最低賃金で売り出している。筆者の母親は事あるごとに自分の友
人の高校生の娘が、筆者よりも高い時給でアルバイトをしていることを口実に、私の時給
について文句を発言しているがそれは問題ではない。学生の本分は学問を修めることで、
日暮の小銭を稼ぐことではないのに、効率的に稼ぐことを目的にしているのはどういった
了見だろうと考える。またそのために、前述したような単純作業やあるいはやりたくもな
い労働苦を強いられ、自らのQOLを下げる要因を創ることはないだろう。筆者にとって、
マクドナルドで働くことはある意味では楽しいと思える。一部の例外を除き、世の中のア
ルバイトはほとんどが単純作業の寄せ集めであり、マクドナルドも例外ではない。しかし
それは制度上の話であり、実務では多くの変化が存在する。奥深い世界がある。マクド
ルドのクルーと呼ばれる従業員全員に配られるCDP(Crew Development Program)と呼ばれ
るマニュアルには「変化を楽しむ」ことを大切にするよう記載されている。変化とは新商
品の発売や突発的に来店者が急増するピークなどがある。これらの変化は顧客のリピート
を狙った戦略だが、そこで働くクルーが、単調な労働に飽きないための工夫でもある。注
文を受けてからハンバーガーが製造されるまでの一連の時間をこと細かに計測される工夫
がされており、一定時間で早く作ることが出来ると、その分の最大セールスも増加する。
マクドナルドがスピードを重視する目的はこの、少ない労働時間でより多くのセールスを
獲得することである。店やエリアごとにより多くのセールスを獲得した店舗や優れたクル
ーを表彰する制度や大会も開かれるなど、数あるアルバイトの中では特に白熱した環境だ
と思う。AIの発展によって、マクドナルドの肉を焼く人(マクドナルドではグリルストッ
カーと呼ばれるポジション)の仕事が奪われるのではという議論がどこかでされた。残念
ながらまだ、現時点では人がやった方が安いのだが、それもいずれ現実に起こり得るよう
に思える。その危機感に肖って、筆者はこの夏、前述したクルーの技能を競い合うAJCC
いう大会に肉を焼く人として出場した。マクドナルドの人たちに働いていて何が楽しいか
を聞いてみると、ランチやディナーピークを回し切る(オーダーを取り切り、目標のセー
ルスを獲得すること)や、様々なお客様とのコミュニケーションを取るなど、様々な意見
が返ってくる。同じアルバイトでも、こうした楽しい理由や様々に用意されている、ある
いは見いだせる環境は筆者にとって理想的に感じているため、最低賃金であっても不満で
はない。
Ⅲ.
 ホワイトカラーにおける実務は経験したことが無いので、その観点からの意見を落とす
ことが出来ない。形式的な部分ではルーティンワークというものが存在する以上どうして
も事務的な部分はあると思われる。これまでの出会いの中で、同じ作業を行うことを苦と
する筆者と同じ考えの人もいれば、それを好む人もいた。そのどちらか、もしくは他の意
見が他の学生から出てくるかもしれないため、とても気になる。大切なのは自分がどう働
きたいか、それを自己認知することである。労働は自身がただ生存するためにあるのでは
ない。何のためかはその個人によって変動するが、労働を目的に生きることが人間の本分
ではないだろう。
 人間にとって望ましい労働形態は存在しない。なぜなら一括りに出来るほど人間の内面
は単一ではないからである。与えられた命題に強いて一つの結果を残すならば、そこに従
事する人間が求める理想を求められる環境が、人間にとって望ましい労働形態である。