学生の思想を読む

国ではなく国語に住む我々の、思考の差異を追求します。

Contributing life in the 21st century

課題文

授業全体を通して(創立者の講演、対談集、ディスカッション)、「平和と生命尊厳の21世紀」を指向するにあたり、①何を学ぶことができたか(基本理解)、②特に大切だと思ったこと(考察)、③それを今後どのように生かしていきたいか(自身との関連付け)について、自分なりの視点でレポートを作成してください。

 

本文

基本理解の観点

 ,与えられる人になること

 人間の人生の生き方には依(エ)他(タ)的生活、独立的生活、貢献的生活という三つの種類が存在する。これは創価学会の初代会長である牧口常三郎創価教育学体系で述べたことでもある。

依他的生活とは、自分以外の他者に依存して生活する様を言う。いつまでも自立せずにいることは他者への迷惑を被ることにも繋がる。独立的生活とは、自立した生活を営むことは出来るが、他者への関心が無い様を言う。これもあまり良いものではないとされ、例えば線路に石を置く行為は悪いことだが、石が置いてあることを分かっていながらもそれを見てみぬ振りをすることもまた悪いことなのである。対して貢献的生活とは、自分だけでなく他者への慈悲や感謝を以って、自己の行動や幸福を広く社会へ貢献してゆこうとする様である。我々は日々の生活の中で、依他的あるいは独立的な生活から脱却しなければならない。貢献的生活を実現させることにより、真の幸福というものが訪れるのである。

 

 Ⅱ,世界市民としての意識

 社会情勢がめぐるましく変動する激動の21世紀では、価値観の押し付けをするべきではない。20世紀末までは、先進国諸国で大規模な開発がなされてきた。重工業が発展し、工場から排出される温室効果ガスなどを初めとする有害物質が人々を苦しめた。先進国による科学の発展は、やがて発展途上国への進出へ繋がり、時として現地の人々の生活を脅かす脅威にさえなった。科学は、異文化侵略や戦争のために使われるべきものではない。発展した技術は、人々の交流や教育に使われるべきものである。グローバル化が進む現代社会では、一様な判断基準に縛られるとその先の進歩は存在しない。たしかに、これまでの進歩主義は一様性を求めて発展を成功させた例も存在するが、それは今日の様々な思想が存在する世界では時代遅れとなる。現代の社会的問題を解消するためには、人間の思想などにも多様性を認めてゆく必要がある。

 差別的な偏見を無くす画期的な方法として、世界中に友達をつくるというものがある。

地方から上京し、創価大学に入学してきた学生を例に挙げると、その学生の出身地域で台風や地震が起こった時に地元の家族や友達に連絡を取ることが一般的だ。この例を応用して、同じ事を世界レベルで行うという意見が授業でのディスカッションで挙がった。インターネットなどの普及によりグローバル化が進み、科学が発展したおかげで、今では地球上のあらゆる情報を安易に仕入れることが出来るようになった。インターネットを初めとする高精度な通信技術は便利な反面、テロや虐殺などが大規模化するだけでなく、悪質なデマなどが蔓延るために、多くの差別主義者や無関心を生み出す要因ともなっている。しかし、この便利な技術を使用し、世界中に友達を作ることにより、例えば一国で災害が起きたときでも、その友達を気にかけることによって実情を知ることや、世界情勢への無関心を防ぐことに繋がる。世界を知ろうとする心がなければ世界平和は実現しない。そのためには一人一人が世界に関心を持つ必要があるのである。

 人間の尊厳や秩序を保つためには、宗教的なものが必要である。前述の項で、一つの思想などに囚われることを良しとしない旨の記述をしたが、本項で求めることはあくまで宗教的なものであって、ある特定の宗教ではない。日本は思想の薄い国で、無宗教国家とも呼ばれている。強いて言えば神道と仏教が盛んではあるが、よほど信仰熱心な家系でなければ他宗教の季節行事などを楽しむことが多い。この傾向は、思想や宗教に対して理不尽な差別意識を持たずに済むため、宗教をめぐる争いは他国と比べると少ない。異文化を排他的に考えない良い傾向の反面、悪い部分も存在する。それは精神的強さが弱いことである。他からの刺激に対して、疑うことをせずに情報を鵜呑みにしてしまうことが多いため、偽の情報に流されてしまう。宗教は、神を信じようとする帰依の心を原動力としている。その帰依の力を利用するために宗教的なものが必要なのである。その力を、外の世界のことを知ろうとする力へと変換させ、現実の物事に対してまず疑って掛かることが大切なのである。疑うことは悪いことではなく、その対象を知ろうとする行為である。あらゆることを鵜呑みにするだけでなく、自分で考える力を養う、知識に対する帰依の力が必要なのである。

 

考察の観点

 これまでに述べた事柄を行う貢献的人間を、創価学会では世界市民と呼ぶ。急速な発展を遂げてゆく世界について往けるのはこの世界市民であり、ついて往けない人を助けるのもまた、世界市民である。グローバルな視点で物事を考えることはたしかに重要だが、語学を鼻に掛けて自己の利益のみを考える人間を世界市民とは呼ばない。途上国の我々も、今まさに紛争で罪の無い人々が虐殺されている現状を”知る”必要があり、また世界平和へ貢献してゆく営みを行う義務がある。

 

自己との関連付け及び今後の展望

 現在の自立的生活から、貢献的生活を営める世界市民となることが今後の展望である。今の自分は他人に頼ることの少ない生活を行っている。他人と積極的に関わることが少ないため、自立せざるを得ないからである。“人と人は支えあって人となる”と良く言われるように、人間は社会的動物として調和と共存をしてゆくべきである。もっともこれは体のいい理想論だが、自身に降りかかる困難という名の火の粉を振り払って生きているだけではいけない。大規模な火災が起きたときは、その火元を鎮火しなければならない。これは現実世界にも置き換えることが可能であり、自分だけでなくその周り、或いは世界全体を平和に導くことによって、結果的に自己の保身にも繋がるのである。つまり自分自身が貢献的生活者となり、社会への貢献を行うことによって真の世界平和が実現するのである。

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