学生の思想を読む

国ではなく国語に住む我々の、思考の差異を追求します。

第2回 授業概要 コンピュータの歴史

学んだこと
 コンピュータは電子計算機ともいわれることから、その前身は電卓やそろばんであった。そろばんは1570年代に中国から日本へ伝来してきており、現在は計算機として主に用いられることは少ないが、教育や脳トレ用として再評価されている。1960年代には電卓が登場した。当時の電卓は重量が15~20kg以上、消費電力も50wから100wを超える大型のもので、1964年の製品は車一台分ほどの値段がついていた。1970年代から企業の価格競争が激化したことによって、個人でも手にすることのできる値段へ下落していった。ハードの面では真空管トランジスタ、IC、LSI、超LSIへと変遷してゆき、小型化高性能化が進んでいった。


参考になった点
 GUIの出現からコンピュータの一般普及は爆発的に増加し、今日ではほとんどの人が手のひらに収まる高性能なコンピュータを所有している。MITの第六感デバイスの研究では今日におけるAR技術の前進ともいえるものが、2009年で発表されていた。その後の成果はよくわかっていないが、現在ではARやVRといった技術を用いたデバイスやゲームの実用化がいくつか見られる。

考察
 筆者は高校生の時に電卓検定の1級を取得しており、打鍵の速度に自信があった。筆者の高校は神奈川県のパシフィコ横浜で行われる、産業教育フェアというイベントに出展し、そこで電卓の早打ち競争を開催した。参加者は多くの小中学生でにぎわいを見せていた。そろばんを学んでいるという小学生の相手をした際に、彼はエアそろばんと呼ばれる、空中にイメージしたそろばんをはじいて計算する芸当を見せてくれた。その速度は私の当時の電卓打鍵速度よりも早く、そして正確であったことから、そろばんが人間の脳を活性化しそれが有用であることは事実だろうと考えられる。
 コンピュータの黎明期は多くの人が新しい技術に触れ、様々なコンテンツを創造し、それに触れることが出来た。日本人は昔から手先が器用で、生糸などの縫製産業では輸出の大部分を占める時代があった。コンピュータの台頭により、より精密な技術が必要とされる時代であっても、世界に通用するクオリティを発揮できたはずだ。しかし実際にはエンジニアの冷遇や劣悪な労働環境によって国内の産業は徐々に海外にとられることとなったことは大変悲しいことである。
 AR技術の実用化については、現在の生活を変えるほどには至っていないため、まだ発展の余地はあるだろう。小型プロジェクターの投影技術をはじめとするハードの開発は一旦収まりを見せているように思われる。そのため、これからはソフトの方面での開発に注目していきたい。