学生の思想を読む

国ではなく国語に住む我々の、思考の差異を追求します。

中東の食生活と風景

1「中東の食生活」:食べ物、飲み物、豚肉、飲酒
 中東の食生活について、多くの人は羊の焼肉(シシカバーブ)をイメージするが、エジプトではカラスミ(ボラの卵)や生ウニ、アルジェリアの森ではマツタケが豊富に採れる。さらにモロッコからモーリタニアにかけて、大西洋岸の海ではタコが摂れる。日本で流通しているタコはほとんどがモロッコモーリタニア産である。最近はマレーシア産も出回っている。


 中東では豚は不浄な動物として捉えられていることで、豚を食べないという習慣はかなり徹底している。エジプトのカイロではごく一部豚肉を扱っている店がある。そのような店の経営者はキリスト教徒であるため販売を行っている。
 イスラム教ではなぜ豚肉を食さないのかという理由は、イスラム教の起源に関係する。イスラム教を始めたムハンマド(モハメッド)が、イスラム教を広める聖戦(ジハード)に際して各地を巡った折に、食糧不足から生の豚肉を食した際に多くの死者が出たことに由来する。ヒンドゥー教では、牛肉を食べない。これは牛を神聖なものとして考えている文化にある。すなわち、同じ食べないという行為についても、その根拠は180度異なる。しかし、中東でも外国料理店においては豚肉を食すことは可能である。

 一般的には、中東の国々では飲酒が禁じられているというイメージがある。しかし、飲酒が禁じられている国は中東の一部の国である。サウジアラビアとイランの二か国ではイスラーム法(シャリーア)という法律に厳格な国であるため、酒の持ち込みであっても逮捕される。エジプト、トルコ、アルジェリアなどでは国内でワインやビールの生産を行っている。中東の地酒として「アラク」という蒸留酒が有名である。これは水を入れると白く濁る酒である。イスラーム先史時代(イスラム教成立6世紀以前)の、ジャーヒリーヤ時代ユダヤ教徒キリスト教徒がアラビア半島にお酒を持ち込んだと言われている。イスラム教が成立した7世紀ころには、すでにメッカの住民に飲酒文化が浸透していた。飲酒の結果として賭け矢遊び(博打)が流行る。そのため、イスラム教では博打が宗教心を阻害するものとして、一切の賭け事を禁じた。ところがそれは建前上であり、競馬は聖戦に有用なものと見なされ、逆に奨励されるようになった。その後、イスラム世界の拡大とともに、賭け事は半ば公然のものとなり、ギャンブル熱は上流階級から下層階級までに広まることになった。イスラム法では、賭け事の常習者の裁判における証言は認められないことになった。このように賭け事を促した飲酒について、イスラム教の創始者であるムハンマド(570-632)が何度か啓示を受ける。これにより最終的には全面禁酒の啓示を受けることになる。これはコーランに記述されている。イスラム法ではお酒を飲んだ人間は80回のむち打ち、奴隷の場合は自分の意思がないために40回のむち打ちが課せられる。さらにムハンマドは最終的には偶像崇拝を禁じた。形あるものを拝むと願い事になるため、それを禁ずる啓示を神から受けたためである。


 中東のモロッコなど、北アフリカなどでは蒸かしたアワの上に羊の肉、あるいはウサギの肉をベースとして、セロリ、ニンジン、玉ねぎからとったスープをかけて食べるクスクスという料理が有名である。エジプトではハトを焼いてコメとともにキャベツで巻いて食べるハマームが有名である。他の国の特徴は一般に香辛料を多く使う料理であると認識される。


 中東の飲み物はコーヒーと紅茶が主である。飲み物の分布はフランス文化圏、遊牧民地域、イギリス文化圏という三つの地域に分かれる。
 フランス文化圏では、小さなカップで出されるトルココーヒーが有名である。飲み終わったときに砂糖の層がカップの底に1cm残るほど甘いものである。日本のように砂糖の有無は聞かれない。
 遊牧民地域では、アラビアコーヒーが好まれる。豆を焙煎していないので緑色であり、おちょこのような容器で砂糖を入れずに飲む。
 イギリス文化圏では紅茶がよく飲まれる。紅茶の葉をしばらく煮立ててから、透明のコップに入れ、砂糖を大量に入れて飲む。モロッコなどではミントを入れて飲む場合もあるが、エジプトなどではあまり見られない。エジプトの喫茶店では、男たちが日中紅茶を飲みながら水タバコを吸っている風景が日常的に見られる。基本的に女性だけで喫茶店を利用する光景を見ることはなく、女性たちは街の特定の場所で飲むことになる。


2「中東の風景」
 中東の風景は、写真などで紹介されるアラブ人のイメージは、長袖の裾を足元まで長くしたようなジシュダーシュという民族衣装と、頭部にオカールをつけ、短剣を纏った男である。女性に関しては、ベールをかぶっているイメージである。しかしながら、イラクアルジェリアなどの都会では、このような服装に出会うことはまずない。オマーン、イエメン、アラブ首長国連邦などのアラビア半島国家以外では洋服姿の方がはるかに多く見られる。特に、レバノンベイルートでは中東で最も西洋化された流行の街と言われている。パリとベイルートでは最新のファッションが同時に見ることが出来る。中東は砂漠だというイメージが固定化している人は、イランのテヘラン、トルコのイスタンブールアンカラ、エジプトのカイロとアレキサンドリアアルジェリアのアルジェとカサブランカなど、中東の都会の風景もかなり意外に写る。中東の都会の外観はヨーロッパそのもので、高層ビルが立ち並んでいる。いずれの都会も人口集中が急速である。カイロの人口は1,700万人であり、東京の1,300万人よりも多い。カサブランカやカイロでは欧米以上に空気汚染や騒音の公害が顕著である。