学生の思想を読む

国ではなく国語に住む我々の、思考の差異を追求します。

イベリア半島の多言語使用

スペイン語の諸方言

・今日の現代スペイン語は、もともと方言の一つだった?

 スペインの中には様々な方言がある。その中でもカスティーリャ方言(castellano)が最も優勢であった。これはもともと、スペイン北方のカンタブリアに始まってブルゴス周辺の小さな地域で話されていた。カスティーリャ地方の一つの方言に過ぎなかったが、カスティーリャの西方にあるレオン方言と東方にあるアラゴン方言を押しのける形で次第に南下していった。このカンタブリア地方からイベリア半島中央部までは旧カスティーリャと呼ばれ、最も主的なカスティーリャ方言の形態を今日でも比較的忠実に保持している。

 

・「細分化方言」て何?

  マドリード周辺のスペイン語は今日「文字通りのスペイン語」として認可されている。その後南下したスペイン語はアンダルシア地方に至り、本来の形とはかなり異なってしまった。これらの方言は「方言の方言」であることから「細分化方言」subdialectsと呼ばれる。さらにスペイン語イベリア半島を離れて、カナリア諸島へ至り、ここではカナリア方言が話される。

 

イベリア半島の言語的概観

スペイン語ポルトガル語はどうなっている?

 スペイン北西、ポルトガル北部のガリシア地方ではスペイン語ポルトガル語の多重言語併用地帯(Billingualism, Multilingualism)となっており、さらにレオン方言とガリシア方言も介入しているため複雑な言語事情を抱えている。ガリシア方言は言語学的にはポルトガル語の初期の方言がスペイン語化されたものである。

 ガリシア地方の現状として、都市部ではスペイン語が優勢であり、農村部でガリシア語が優勢であるという傾向がある。このようなことから、多くの人にとってガリシア語は文化水準の低い言語であると捉えられた。ガリシア地方のスペイン語化は15世紀に始まった。スペイン語化とはカスティーリャ化のことを意味する。スペイン語ガリシア語は相互に影響を与えあった。スペイン語の語彙がガリシア語に導入され、その一方でスペイン語ガリシア語化した。また19世紀に至るまでガリシア語は農村部で普及した。その理由はガリシア地方は教育制度が完備されていなかったためである。学校制度は19世紀末まで手つかずの状況であった。

 

・なぜ「移民の問題」に注目しなければならないのか?

 当時、経済上の理由から中南米(特にアルゼンチンのブエノスアイレスキューバ、メキシコ)へ移民を企てるガリシアの住民が多くいた。彼らは一定の期間を経てガリシアに戻ってきた。その結果彼らは、中南米スペイン語を持ち帰る結果となった。もともと彼らはガリシア語のみを話していたが、労働のためにスペイン語を話さざるを得なかった。その彼らを通してスペイン語ガリシアの農村部に普及した。これをスペイン語の逆輸入と呼ぶ。こうした経緯を正当化する理由は二つあり、一つは中南米で用いられているスペイン語の語彙がガリシア地方でふんだんに用いられていることである。中南米を特徴づけるvoseoが使われる唯一の地域がガリシア地方である。voseoとはスペイン語の「君」を表すTuのことである。この語彙が使われるのはアルゼンチン、ウルグアイパラグアイなどであり、その他の地域ではvosが用いられることはない。

 

スペイン語カタルーニャ語の関係

・「国土回復運動」によってカタルーニャ語はどの地域に普及したのか?

 カタルーニャ語アラゴン方言の境が、スペイン語カタルーニャ語の境界線となる。アラゴン方言はピレネー山脈の限られた地域で話されている方言である。ウェスカからムルシェに至るまでの地域では、カスティーリャ語が14世紀から話され、アラゴン方言とカタルーニャ語の関係となる。カタルーニャ語ピレネー山脈東部で話されているラテン語から派生した言語である。

 

アラゴン連合王国はいつ頃スペイン王国に統合されたのか?

 アラゴン連合王国は、スペイン東部からイタリアまで広がっていた国である。国土回復運動(レコンキスタ)によってカタルーニャ語バレンシア州バレアレス諸島などの南に広がっていく。15世紀にバレンシアが黄金時代を迎え、カタルーニャ文学が頂点に達する。アラゴン連合王国は複数の君主国の同盟により、地中海国家として南ヨーロッパに誕生した国家であり、1479年にスペイン王国に統合された。