学生の思想を読む

国ではなく国語に住む我々の、思考の差異を追求します。

中東の政治体制

 

 中東には君主制国家と共和制国家の二つの政治体制がある。ここで扱う22か国のうち、君主制国家は8か国のみである。それはペルシャ湾付近のサウジアラビアクウェートバーレーンカタールアラブ首長国連邦オマーン、ヨルダン、モロッコである。なおイランとイラクは共和制国家である。ヨルダンとモロッコは形式的には立憲君主国でありつつも国王の力が強い。バーレーンは2002年の国民投票によって立憲君主国に移行している。

 

 イラクは1958年の革命で、君主制から共和制に移行した。その時の立役者はカーセム将軍である。

 イランは1979年にイラン・イスラーム革命で共和制に移行した。この時の立役者はホメイニ師である。

 中東で君主制から共和制に移行した国はほかにもエジプト(1952)、イエメン(ソ連時代は北イエメン南イエメンに分かれていた。)などがある。

 北イエメンは1962年、南イエメンは1967年、リビアは1969年、アフガニスタンは1973年にそれぞれ移行した。ペレストロイカによってベルリンの壁が崩壊し東西ベルリンの統一があった。ペレストロイカベルリンの壁が崩壊したことだけではなく、中東の南北イエメンの統一を1990年にもたらした。つまりイエメンの統一によってイエメン共和国が誕生した。

 

 逆に、共和制から君主制に移行するケースは皆無である。君主制が崩壊して共和制が生まれるのは歴史の必然である。すなわち、君主制国家8か国は共和革命がいつ到来するかを恐れており、そのためペルシャ湾岸の君主制6か国は湾岸協力会議(GCC:Gulf Corporation Council)という組織を結成している。もともとは経済協力ではなく、政治的な意図から君主制への移行を阻もうとする意図である。ではなぜ君主制が崩壊するのか。次回では各国の例を挙げる。