学生の思想を読む

国ではなく国語に住む我々の、思考の差異を追求します。

「中東とアラブ世界」:アラブ人の多様性

「中東とアラブ世界」:アラブ人の多様性

中東はアラブではないことを説明するには、イスラエル、イラン、アフガニスタン、トルコ、キプロスといった国々を見ると、これらはアラブではないと言える。たしかにこれらの国々にアラブ人は多いが、それ一色ではない。エジプト人、モロッコ人、イラク人、オマーン人、サウジアラビア人を比較してみると、それぞれの顔の形、風貌、雰囲気は異なる。つまり性格や気風にも差異が見られる。アラブ人の多様性について、①風土、②歴史体験、③混血の仕方によるところが多い。すなわち、アラブの国名をつけて〇〇人と呼ぶときは、人種的、民族的概念というよりむしろ、地理的、人工的な概念であることが多い。

 

 オマーンという国を見ると、インド洋やアラビア海に面している。オマーンの上はペルシャ湾と呼ばれることが多いが、オマーンではアラビア湾と呼ぶ。日本海と東海の位置づけでもある。オマーンは海洋国家として生きてきた。オマーン人の開放性はこのことに由来していると言える。下にはソマリアがあり、アフリカとの混血が多く、肌の黒いオマーン人が目につきやすい。アラビア半島で肌が黒いとオマーン人である可能性が高い。

 

 エジプトという国は東西文明の十字路にあたり、中東であるがアフリカ大陸に位置している。ファラオの昔の遺産であるピラミッドやスフィンクスなどの形で、今日も目に見えて存在している。特にナイル川はエジプトの農耕を支えた存在として、今日のエジプト人にはおっとりとした生活態度を一つの特性として与えている。

 

 サウジアラビア人はアラビア半島の人の厳格な価値観や、どちらかと言えば閉鎖的で警戒心が強い性格である、砂漠の過酷な環境を生きる遊牧民の生活条件にその源流を求めることが出来る。サウジアラビアをはじめとする湾岸諸国は、歴史に対する劣等感(1970年代に石油が出た、それまでは遊牧民だった)と金持ち気質がミックスしており、かなり横柄なところもあると言われている。もちろんこれはすべての湾岸諸国民に当てはまるものではない。

 

 イラク人などの中東の人々の特徴は、特にアラブ人は誇りだかく、メンツを重んじる。それは中東が文明の発祥地であることに起因する。10世紀から13世紀ごろには西洋をはるかにしのぐ文明を持っていたにも関わらず、西洋諸国の植民地になってしまったという歴史がその底流にある。世界で初めて農業を始めたのはイラク人であり、今から5000年ほど前に世界で初めて都市を作った。イラクはいわゆるメソポタミア文明の発祥地である。都市は人口数十万人規模のものがいくつもあり、数万人規模のものは無数にあったとされている。都市の規模と緻密さは17世紀までのヨーロッパをはるかにしのぐものであった。5000年前に都市化した社会が作り出したものは、7日を一週間とし、12カ月を一年とする現在の暦である。さらに、60進法と星占いの概念もこの時代に誕生している。すなわち、ヨーロッパ人の時間と空間の概念がこの時代に由来すると言える。つまり、ヨーロッパ文化の基本的な部分は現在のイラク地方にさかのぼることが出来る。イラク人は気性が非常に激しく、物事に固執する傾向があると言われている。さらに独立心が強く、ウェイターなどのサービス労働者にはなりたがらないと言われている。こういった仕事にはのんびりムードのエジプト人が向くと言われている。湾岸戦争ではアメリカに対してイラクは一人で立ち向かったことも、イラク人のプライドに由来する行動であった。